ミステリー作家である森博嗣の「浮遊研究室」は
よくのぞきに行くサイトのひとつです。
以下、メモ的に、興味深いと感じた
最近のコンテンツ引用しちゃいます。
【2004年11月22日VOL.154】
どうも、近頃、周囲を見ていると、多くの人たちが、
自分の仕事に「楽しみ」を見出そうとしているように
感じられるのです。
「誇り」を見つけようとしている人はあまりいません。
「好きなことをしたい」と彼らはいいます。
「楽しい仕事がしたい」と望んでいるようです。
しかし、そもそも、仕事とは、
その人にこそ「できる」ものだからこそ成立し、
社会的価値も高まるのではないでしょうか。
それが結局は「誇り」となるのでしょう。
「好きこそものの上手なれ」とは、
むしろ一般的にはそうではないからこそ
生まれた反語にも思えます。
少しくらいは好きにならなければやっていられないよ、
という教えかもしれません。いかがでしょうか。
→「好きなことを仕事にする」のと
「楽しい仕事をする」は違いますな。
そこんところの勘違いさんって多いかも。
仕事って楽しいことばかりのはずはないよねぇ。
真剣にやればやるほど。
【2004年11月29日VOL.155】
すなわち、ドラマのための必要なのは、
キャラクタの「鈍感さ」なのです。
純粋な子供の目には、その鈍感さが「苛つく」わけです。
周囲の人間の迷惑を省みない鈍感さが、
通常のドラマを生みます。
これを最もストレートに際立たせているのが
「フーテンの寅さん」でしょう。
これくらい鈍感な人間はいない。
だからこそドラマになるわけです。
ようするに、フィクションにおける「人間味」の多くは、
つまりは「にぶい人間」のことといっても良いでしょう。
→『流星花園』(というか「花より男子」か)
の道明寺もだな。うぷぷ。
「突っ込みがいがある」ちゅうことね。
【2004年12月6日VOL.156】
マイナとメジャの違いは何でしょう?
もちろん、レベルの高さとか、
メッセージや表現の一般性、
共有性なども尺度となりますが、
その境界に近いところでは、
どちらかというと恣意的にメジャが作られ、
また偶然によって、
揺れ動くことがあるように観察されます。
たまたま、多くの人の目にとまったものが
メジャに引き出される、という現象です。
→マイナーとメジャーの差は
引っ張り出されてきたかどうかだけ、か。
【2004年12月13日VOL.157】
10年ほどまえから、
「現代の若者は活字世代だ」と感じてきましたが、
最近はそのピークも過ぎ、
今は「写真世代」になりつつあるように思われます。
人が受け入れる文章量は減少し、
言葉はますます短く選ばれるようになることでしょう。
→そうそう、ビジュアルの時代です。
美男子バンザイ!!!(笑)
でもちょっと悲しい。
わが容姿を顧みると・・・(汗)。
【2005年1月10日更新 VOL.161】
こういった発信行為(まゆりくん注:インターネットのこと)
によって、意見を思いつくようになるし、
意見を述べることにも慣れるでしょう。
しかし、その意見が他者に影響力を持つかどうか、
あるいは読んでもらえるかどうかさえ、わかりません。
意見というのは、鋭いか、正しいか、珍しいか、ではなく、
あくまでも、その意見を発している人間が何者なのか、
によって影響力が決まるからです。
これは、雑誌のエッセィでもTVのコメンテータでも同じ。
意見を言う人間の肩書き、素性、業績、立場、人間性、
などが支配的な前提となっているのです。・・・
ようするに、人は、
得体の知れない人間の話には耳を傾けない、
という共通傾向を持っているわけです。
インターネットの匿名性が持っている
最大のジレンマがここにあるでしょう。
→そうだわな、某有名漫画家の恋愛エッセー、
すごい陳腐なのになぜか売れてたりしたよな。
そして、「得たいの知れない人間の話」=このメモぢゃん(汗)。